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12/17/2014

債権法改正における約款の審議 (その3)定義を巡るエトセトラ

こんにちは。法制審民法(債権関係)部会における約款議論の紹介として、法務系Advent Calendar企画として参加した前2回では、あらかじめ期限を設定して投稿したので、特に後半ではかなり舌足らずの部分がありました。
12月16日の部会審議ではどうやら約款については議論されなかったていないようですので、まだ立法論としての議論を続ける時間も残されていると考え、もう少し丁寧に今までの議論を振り返っていこうと思います。

手初めに「約款の定義」について。

前回、現時点での最終案(部会資料83)における約款の定義が

定型約款とは、相手方が不特定多数であって給付の内容が均一である取引その他の取引の内容の全部又は一部が画一的であることが当事者双方にとって合理的な取引(以下「定型取引」という。)において、契約の内容を補充することを目的として当該定型取引の当事者の一方により準備された条項の総体をいう。

ということを紹介しました。

これを分解すると、 

① 相手方が不特定多数であって給付の内容が均一である取引その他の取引
② 取引の内容の全部又は一部が画一的であることが当事者双方にとって合理的な取引(定型取引)
③ 契約の内容を補充することを目的として
④ 当事者の一方により準備された条項の総体

の4つに分かれます。
まず、①ですが、この後に「その他の取引」と続きますので、これは②の例示に過ぎないことが文言上示されています。実際に重要なのは、②の定型取引性であって、それをさらに分解すると
(a) 取引の内容の全部又は一部が画一的であること
(b) (a)であることが当事者双方にとって合理的であること
の2つの要件になります。①の多数性・給付内容の均一性は、(a)の画一性を判断するための考慮要素ということになります。

我が国の約款研究の第一人者である河上正二先生は、この要綱仮案における定義を次のように批判されています。

「約款」の外延を画する作業は理論的な難問であるが、立法論として考えた場合、約款に関する特別な規律に服するかどうかは、できる限り外形標準で定まっていることが望ましい。「約款」かどうかの決定的メルクマールは、多数契約(不特定多数である必要もない)の画一的処理のために予め定型的に策定された契約条件であれば足りるというべきであって、その「給付の内容が均一」である必要はなく、又そのような方式の選択が「合理的であるかどうか」を問題とする必要はあるまい。まして、「相手方が交渉を行わず一方当事者が準備した契約条項の総体をそのまま受け入れて契約の締結に至ることが合理的といえる場合」という「定型取引」なる曖昧な中間項を挿入し、不安定な評価要素を積み上げることは、不適切である。約款問題に対する実質的な介入契機である附合契約的性格や意思の希薄化は、交渉や商議を経た条項を「約款」から除外することで対応するほかあるまい。その意味では、当初の「中間論点整理」で示されていた「約款とは、多数の契約に用いるために予め定式化された契約条項の総体をいう」で足り、一方当事者が、それを自己の約款として「設定した(準備・提供した)」という事実が加わることで、「ひな型」や「標準書式」等とは容易に区別されよう。(河上正二、約款による取引、法律時報86巻12号96頁(2014))

河上先生の主張される定義では、多数性・定型性があれば約款であることが推定され、個別交渉がある場合は、約款準備者が抗弁として主張すれば足りる、ということではないかと思います。(ちなみに河上先生は以前「『契約書式』もひとたび多数取引で用いられるや、「約款と区別する理由はなくなるのである。」(同書131頁)と述べられており、「「ひな型」や「標準書式」等とは容易に区別されよう。」と言っているのは説得力がないのではないでしょうか。)これは、ドイツ民法における約款の定義を踏まえたものでしょう。

ドイツ民法第305条 約款の契約への組み入れ (1) 約款とは多数の契約に用いるためにあらかじめ定式化されたすべての契約条項であって、一方の契約当事者(約款使用者)が他方の契約当事者に対して契約締結の際に設定したものをいう。・・・契約条項につき契約当事者間で個別に交渉がなされたものは、約款ではない。( 部会資料11−2、以下の立法例も同様)

このような立法のあり方を、かつて河上先生は以下のようにまとめておられました。

「約款」ないしは「標準契約」という、いわば外観に着目して、個別的合意とは異なる規制に服せしめる方向であり、この外形を捉えるため特に「定型性」や「多数契約性」、「事前に用意された条項」といった諸特質が重視される、この場合、契約当事者間の交渉力の格差というファクターは、この外形的メルクマールに吸収された形になり、二次的に消費者・非消費者等々類型的処理の中で考慮されるに過ぎない。(河上正二、約款規制の法理、120頁(2002))

しかし、このような立法のみが約款の定義としての唯一の解というわけではなくて、「約款問題に対する実質的な介入契機である附合契約的性格や意思の希薄化」をより前面に出すということも考えられます。

たとえば、

フランス民法改正草案(カタラ草案)1102-5条 (1) 附合契約は、条件が、討議を経ずに他方当事者があらかじめ一方的に定めた通りに当事者の一方によって承諾される契約である。

とか、

ヨーロッパ契約法原則 2:104条 個別に交渉されなかった条項 (1) 当事者の一方は,個別に交渉されなかった契約条項を相手方が知らなかった場合において,契約の締結前又は締結時にその条項につき相手方に注意を促すための合理的な措置を講じたときにかぎり,相手方に対し,その条項を主張することができる。 (2) 契約書において条項を参照するだけでは,相手方がその契約書に署名したとしても,その条項について相手方の注意を適切に促したことにはならない。
といった、交渉の不存在性を約款(附合契約)かどうかのメルクマールとしておく立法(提言)例もある中で、なぜドイツ法的アプローチが望ましいのか河上先生の論述からは私にはよく分かりませんでした。外形標準から定まるということであっても、交渉の不存在と多数性のいずれが明確かというのは必ずしも定まらないのではないでしょうか。

実際の部会の議論の中でも、
第50回会議(2012年6月26日)において、 山野目幹事が

多数性という問題について,それを表現する文言を仮に置くとしても,余り積極的な重い要件としての意味が与えられないような御工夫を引き続きしていっていただくことが相当・・・(PDF版35頁)

と発言されたのは、多数性が第一順位としてのメルクマールであるべきではないという趣旨ではないと思われます。事実、前述したように、現時点での最終案では、多数性というのは画一性を判断する一要素となっています。

それでは、画一性とはどのように解釈されるべきでしょうか。これについては、中間試案の段階で内田先生は次のような解釈を示されています。

画一的な条件で契約をするために、社内で約款をつくりこれで進めようと決めますと、契約の締結担当者に契約内容を交渉する権限など与えないと思います。ですので、相手方がどうしても変えてくれと言っても、契約を締結する担当者の権限で変えるなどというのは社内的にはあり得ないと思います。これに対して、交渉の余地があるもの、つまり相手との交渉で内容を決めようという場合には、交渉権限を持った人が契約締結に出ていく、あるいは契約締結の直接の担当者ではないにしてもそのすぐ後ろに交渉権限を持った人がいるのではないかと思います。 つまり交渉の余地があるかないかで、社内の決裁方法がずいぶん違うのではないかと想像しますが、そうであれば社内的には、画一的にこれでいこうと定められている契約条件と相手との交渉によって内容を決める契約条件は区別可能なのではないでしょうか。そういう形で交渉の余地のないものは、相手方からすると、一生懸命読んで理解しても内容は変えてもらえないので通常読まないことが多いわけです。 内田貴、民法(債権関係)改正に関する中間試案について、ARES不動産証券化ジャーナル14号65頁(2013)

内田先生の考えを私なりに要約すると、画一性とは約款準備者において契約交渉に応じるかどうかの体制の有無ということになります。

しかし、部会資料83では、画一的であることが当事者双方からみて合理的かという要件(要件(b))が加わっています。つまり、内田先生が考えられるように、約款準備者が契約交渉する気がないというだけではなくて、相手方も契約交渉をすることが予定されていないということが合理的、すなわち、裁判官から見てある程度客観的である必要があるということです。
おそらくは、当事者間の力関係によって交渉がないということだけでは、他方当事者から見て画一的であることが合理的とまではいえないので、定型約款には含まれないことになり、事業者間におけるひな型や標準契約は除外されることになります。

したがって、金融法委員会が中間試案に対して行ったパブリックコメント(こちらのp.38以下)

② 「契約内容を画一的に定める」との定義には、不明確性が残り、以下の点について、その解釈が問題となりうる。

(ア) ISDA のMaster Agreement は、それ自体は契約内容を画一的に定めるものであるが、Master Agreement の実際の締結の場面においては、多くのケースで、当事者間においてSchedule の内容が交渉され、Master Agreement と併せて締結されることにより、Master Agreement の内容が実質的に変更ないし補足される。このような場合には、実質的な観点からはMaster Agreement は当事者間の契約内容を画一的に定めるものではなく、したがって約款にはあたらないと解すべきである。

(イ) 銀行取引約定書は、当該内容で銀行取引に係る契約を締結するか否か自体についての交渉ないし判断が行われることがあり、また締結する相手方によっては、規定された内容について交渉を経た上で内容が修正される場合もある。このような交渉を経ることが予定されている場合、銀行取引約定書も約款にはあたらないと考えるべきである。

(ウ) 約款使用者が、同一書式を相手方(ないしそのグループ)によって交渉に応じるか否かを使い分けている場合、同書式は交渉を予定していない相手方に対しても、約款にはあたらないと解されるのか、明らかでない。例えば、同一書式ではあるが、個人が契約の相手方の場合には同書式の内容の変更について交渉の余地を与えず、他方、事業者が相手方の場合には交渉次第で内容変更に応じるという取り扱いをする場合、同書式は、一律に約款にはあたらないと解されるのであろうか。それとも、個人との関係では約款にあたると解されるのであろうか。いずれにしても、交渉が予定されている以上、少なくとも事業者が相手方の場合には約款ではないものとして取り扱うべきであると考える。

に対しては、(少なくとも立案担当者にとって)明確な回答を与えたものであると評価されます。

しかし、なぜ定型約款の定義をここまで狭めていくのでしょうか。そもそも、法における定義というのは、どのような立法趣旨から規律を作るのか、どのような法的効果をもたらすべきかといった観点から、規律の対象領域を画していくものであって、定義がア・プリオリに定まるものではありません。

法制局参事官氏は、「補充」という言葉を用いることによって、内容を当事者双方が理解していない取引類型に特別な規律を設けるべきだという価値判断をおそらくしているのではないかということを、前回述べました。このような立法趣旨と定義の規定ぶりがうまく対応しているでしょうか。

今まで述べてきたような定義の解釈が果たして学者や裁判所から受け入れられるのか、約款に関する規律を民法に設けるべきか否か、その理由をどう考えるかについて、(その1)で述べたように百花繚乱の状態のままで、立案担当者が考えているように解釈されるのかは、心配なしとはしません。まだまだ根本的なコンセンサスが得られないままで議論が進んでいるなという感を強く持ちます。

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