Beyond "it depends". #legalAC #萌渋スペース
この投稿は、法務系アドベントカレンダー企画 #legalAC の12月4日分の投稿となりますと同時に、昨日の担当でもある(本日の裏の当番でもあります) dtk1970 先生、くまった先生とやっている #萌渋スペース の連動企画でもあります。
くまった先生からのお題は、
企業内法務において、体系的教育の意義を、個々の企業の特殊性を超えて汎用的に論ぜよ
というなかなかの難問でございました。
検討の前提として、まず、体系的教育とは何か、ということを考えてみたい。
外部弁護士にしても、企業内法務担当としても、必要な知識/技法の習得をするうえで、体系的教育は不可欠ではあるものの、研修だけが習得の方法ではない。
- 自分でやってみて会得(経験)
- 先輩やその他の師[i]からの稽古、OJT
という、習得すべき知識/技法自体が客観的に明文化されておらず、そもそも形式化できない暗黙知の習得という種類がある。これは、一般的には「体系的」とは呼びえないものかもしれないが、「教育」に含めて、考えてみたいと思う。
次に、課題は「特殊性を超えて汎用的に」とあるので、特殊と汎用との区別について。知識/技法には、当該業界のみに通用する知識/技法と、ポジションが変わっても汎用的に応用可能な知識/技法とがある。前者の例としては、ある業界やその会社の中だけのしきたり[ii]が典型である。社則のように明文でまとめられることもあれば、暗黙の了解である場合もある。
もっとも、特殊か汎用的かは、ある程度相対的な区別である。たとえば、訴訟に当たっての訴状や準備書面の書き方それ自体は、法曹にとっては、司法修習で学ぶように汎用知識/技法ではあるが、裁判を行わない企業内法務業務からすれば、裁判所への説得の仕方とか、裁判になった場合の抜け漏れのない契約書の規定とか応用できる知識があったとしても、それ自体は企業活動とは無関係な特殊な知識/技法である。他方、企業でも弁護士事務所でも、社会の中で孤立して存在するものではなく、他と関係を持ちながら継続していくし、結果的に同じような機能を果たすということがある以上、特殊個別に発展した機能が近寄ってくるといった、いわば収斂進化のようなことは頻繁に起こりうるのであって、ある組織内の特殊なしきたりだと思われることであっても、意外と他の組織に応用可能となり[iii]その結果、汎用的な知識/技法に昇華しているかもしれない。ただ、こういうものの多くは形式知ではなく暗黙知として存在するような感覚がある[iv]。
今、形式知と暗黙知という言葉を使ったが、野中郁次郎先生の提唱した形式知/暗黙知という位相も、知識/技法を論ずる上では重要な切り口である。このことを踏まえて、図式にまとめてみると、次のようになる。
そこで、各項目ごとに検討することにする。
まず、A形式-汎用知には、dtk先生のいう、「法律の知識」、「分析手法」といったものがまず思い浮かぶ。コンプライアンス、コーポレートガバナンス系(最近ではこれにSDGs系も入る)の知識も多くはこの範疇に入るだろう。そのほかにも、リーガルリサーチ、法律文書の読み方、書き方、相談者からの聞き取り、説明の仕方といった項目も該当する。
以前は知識についての書籍はあったが、技法についてそれは稀であった。最近は、法科大学院で「ローヤリング」という科目[v]もあり、技法についての形式知化も進んでいるように思われる。
もっとも、これらの形式-汎用知についての文献を見ただけで、これらの知識/技法が習得できるかと言えば、それほど簡単ではない。きちんとした師について、自分で手を動かし、経験をすることで初めて、書かれていることが理解でき、自分のものとして習得できるということがほとんどであろう。その意味で、これらの形式知のほとんどが、いわゆるメタ知識、メタメタ知識に属することで、一見書いてあることは簡単なようでいて、いわゆる「行間を読む」ためには、相当の修練、経験が必要だ[vi]ということには留意が必要だと思う。
次に、B特殊-形式知について。在籍する組織、業務に固有の形式知としては、当該組織に適用される業法[vii]、規制業種における監督官庁の作成したマニュアル、先例があげられるし、何よりも、企業内法務担当者にとって、組織内の掟、具体的には、社内組織がどうなっているのか(転職者には最初のハードル)、社内規定がどうなっているのか(決裁権限、どの部署にどの権限があるか)について知っておく必要がある。ここらあたりはまさに会社ごとに異なるということになるだろう。ただし、いくつかの組織を渡り歩いていくと、組織とか社内規定のあり方に一定の類型化や収斂進化は認められると思われるので、ある程度の応用は可能になってくるのではないか。
C特殊-暗黙知が、体系的教育からはもっとも縁遠いと思われている。生の体験、反復継続した稽古、OJTによってしか、伝達され、習得されることは困難である。このような特殊-暗黙知の例として、もろもろの仕事のお作法[viii]、組織内存在としての感性(経営者のメンタリティがどうなのか、フロントとバックオフィスとの組織間の関係がどうか)、法務組織や法務担当者の実態としての権限がどこまであるか、「年次」をどこまで重視する執務環境か、いかに上司に認めてもらうか、逆に、いかに部下のやる気を出させるか、相談者や案件のきな臭さを感じ取り、逃げることができるか、など、仕事をするうえでの必要なかなりの部分が含まれている。
D汎用-暗黙知は、上記のC特殊-暗黙知の中から、業務の類似性や、組織間の相互作用の中から、類似したものが前述のとおり収斂進化してきたものと捉えることができる。
以上の分類を踏まえて、知識/技法の体系的教育という観点から、これらの分類相互間の関係と、それがどう体系的教育に関わるか、ということについて、自分なりの整理を試みることにしたい。
まず、それぞれの事象は、個別刹那的にしか体験されないことである。体験それ自体は、知識/技法ではなく、これを知識/技法として会得されるためには、飛躍が必要である。
いきなり生の体験を知識/技法として会得できてしまう人は天才と呼ばれる。また先生から「シャーッときてググッとなったら、シュッと振ってバーンだ」と示されたら分かる、つまり、生の体験をいきなり暗黙知として会得できるということも、極めてまれであろう。
多くの場合、特に法務という言語を扱う営為においては、暗黙知としても会得されるためには、コアとなる形式知(いわゆる座学)と、反復継続[ix]が必要となる。その結果、他の場に応用ができることが出てくる。この会得された知識/技法は、まずはその人限りであるから、C特殊-暗黙知[x]ということになろう。例えば、個別の業におけるヒアリング、交渉、説得の能力、種々雑多の材料から論点を抽出し、分析する能力がその典型と思われる。これらの中には、コアとなる形式知があれば言語化できる領域もあるが、まだ他の人に対して言語化できない、本人の血肉としてしか存在しない領域もあるだろう。その結果、本人には会得されるものの、他の人に教えることは難しいということも起こりうる。したがって、この段階では、師(上司、メンター、他の熟練者)としか協働することができない。
こうして会得されたCが定着し、応用可能となるためには、2つの抽象化が必要となる。1つは、C→Dの抽象化、もう1つは、C/D→A/Bへの抽象化である。
まず、CからDへ、つまり(暗黙知のままで)特殊知から汎用知へ、という営為である。特定の業界、取引類型における暗黙知を、他の実践において応用可能とするということである。この転換を自分だけで行うこともある程度は可能であるが、師を通したOJTによって、転換の効率性が高まるということはあると思う。
さらに、これらの非言語的な知識/技法を抽象化し、言語化することを通して、これを伝達可能にするとともに、非言語の領域の理解をさらに進めるという営為[xi]が必要になってくる。言語化による抽象化によって、特殊知であっても、より汎用知に近づくことによって、一旦Bとなった特殊知が更にAに集約されていく傾向があるのではないか。
しかしすべての知識/技法について、遍く言語化し尽くすことは、言葉が言の端である以上、見果てぬ営為ではある。むしろ、取りまとめることを通した知識/技法の習得という側面の方が、より際立つことになるだろう。
その結果まとめられたA汎用-形式知には、行間の余韻が宿る。しかし、行間を読むことができるのは、類似の体験や修練を通して会得した知識/技法を既に有している人にほぼ限られてしまう(稀に、経験がなくても分かる、という奇跡が起きることは否定しない)、という限界が存在することになる。「図式はいつでもジョークに過ぎない。ジョークが真理を語るのと同じ仕方で、図式は真理の切断面を語る。」[xii]という言葉を紹介して、今年のアドベントカレンダー企画を締めくくることにしたい。
明日は世古修平さんです。
[i] 明示的に誌と仰ぐ人(先輩弁護士、上司)だけでなく、相手方やその弁護士ということもあり得る。
[ii] 創業者代表は疲れ知らずなので、「お疲れ様」はご法度で、一般的には目上の人には用いない「ご苦労様」と呼べ、というようなこと。知るか。
[iii] わがままなハラスメント気味のオーナー、顧客、上司をうまく手玉に取るいわゆる「○○殺し」(〇〇は適宜埋められたい)と呼ばれるスキルなど。
[iv] ただ、稟議システムとか押印といった、形式知に属するような場合も、もちろんある。
[v] 榎本修、『ローヤリングの考え方』(名古屋大学出版会、2022年)は、この件についての単一著者によるよくまとまった文献である。
[vi] いわゆる「法学入門」という種類の書籍にも同じようなことがあてはまる。先日ご紹介したこちらの本など、まさに典型の1つである。
[vii] 法令の場合、特殊知なのか汎用知なのかは、かなり流動的な区分である。例えば廃掃法という業法は、廃棄物処理業者にとってのみ適用になるのではなく、廃棄物処理を依頼する者にも適用される。同様に建設業法も建設会社だけでなく発注者にも適用される。このような法律は、業者の特殊知ではなくて、汎用知として理解されるべき側面がある。
[viii] 相談者にどういう質問を投げかけたらよいのか、とか、打ち合わせが終わってからエレベーターまで見送るまでのちょっとした会話からどう情報を引き出すか、については、大井先生のツイッターが大変参考になる。
[ix] 法曹にとっての、司法試験合格、司法修習はまさに座学-反復練習の典型例だと言える。
[x] 他人から見れば、客観的にはD汎用-暗黙知であるということはあり得るが、あくまでもその人の中では、まだ他の体験と統合できていない段階であるので、Cであると整理する。
[xi] @katax氏の一連のツイート参照。@katax氏は「経験に価値が出るのはそれを抽象化・一般化したうえで適切に言語化したとき」と主張される。これに対し@takujihashizume氏は「その分野における経験が無いと、判断に自信が持てないので、責任を引き受けた上での実行もできない。どんなに優秀な基準書やマニュアルが用意されていたとしても。」と反論されるが、両者の言っていることは、同じことを逆の側面から言っているように、思われる。
[xii] 見田宗介、「<深い明るさ>の方へ―現代日本の言説の構図」朝日新聞1985年12月27日論壇時評。後に『白いお城と花咲く野原―現代日本の思想の全景』(朝日新聞社、1987年)141頁所収。原文下線部は傍点。かつて『気流のなる音』で魅惑的な四分類を論じ、僕たちを夢中にさせた真木悠介=見田宗介さんが、こう言って分類を相対化させたこの一説を読んだときに、文字どおり震える心地がしたのを今のことのように覚えている。今年逝去された見田さんの改めての冥福をお祈りするとともに、40年近くたった今も生きることの軸となっている見田さんに感謝する。
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