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12/05/2014

【法務系Advent Calendar 2014】 債権法改正における約款の審議 (その2) 法務省はどう動いたのか、残された論点

こんにちは。

昨日は法制審議会の民法(債権法関係)部会での約款議論において、A<約款の法的拘束力>とB<約款内容の合理性確保>の2つの視点があり、それをどう組み合わせるかということから4つの立場があるということを書きました。

第93回部会(2014年7月8日)では、昨日紹介した中井先生の発言の後、道垣内先生が

「合意ないしは当事者の意思というものを契約の拘束力の根拠だと一生懸命言わなくても,実務は変わらないというとおっしゃって(ママ)点については,そのような認識で民法作っては駄目だ」
と上から目線でお怒りになり、潮見先生も
「実務がやっていることというものが民法の考え方としてどのように捉えられるのか,あるいは今実務がやっていることは本当に正しいことなのか,そういうことを含めて約款というものの法制度の在り方というのを考えていき,それを民法の規定としてできるのであれば実現するというのがむしろ本来の筋ではないか」
と嘆きながらも、いささか達観気味に
「この段階で約款の規定が入らなかったからといってこの議論が無になるわけではありません。」
と述べられていました。

審議が始まってもう5年も経つのに、どうしてこういう議論がまだ繰り返されているのでしょうか(溜息)。

さて今日は、このような原理的対立の中で、法制審の事務局である法務省はどのように動き、その結果現在どのような立法提案がなされているかということと、残された論点についてご紹介できればと思います。

法制審の審議のほぼ最終局面である現時点からみると、法務省事務当局は、少なくとも原理的には一貫してAの視点とBの視点とを約款について不可欠の要素かつ一体のものとして扱ってきたと評価できます。つまり、約款は通常の契約とは異なり合意による法的拘束力が認められない以上、拘束力を認めるための規律が必要なこと、そのような特殊な契約類型である以上、約款の内容が適正であるための何らかの規律が必要なこと、その両者とも約款規律として必要と考えているということについては、事務当局の提案は審議の初期段階から現在に至るまでぶれないで維持されています。

原理としては一貫していることとは対照的に、事務当局は、個々の規定内容については、部会メンバーやパブリックコメントをはじめとする外部の意見を容れて、かなり頻繁に修正をしています。この過程において、事務当局は自分の意見というものをあまり積極的に示さず、強く意見を言う人に対し個別に対応し、その人が積極的に反対する箇所を修正していくといった手法を採っています。事務当局の主要メンバーが裁判官出身ということもあり、はたから見ていると、和解手続きを主宰する裁判官さながらの印象を受けます。

この手法は約款に限らず、意見対立が激しい論点すべてに共通しています。そうすると、定義規定がどんどん狭くなったり、効果がシンプルになったりする傾向があります。その結果、全員が微妙な不満を残した状態で決着していくか、その不満が一定レベル以上となればコンセンサスを得ることができなくなるということで、第3ステージでは今まで対立の多かった論点のかなりの部分が立法見送りとなりました。残った規定は、極めて精緻というか複雑な定義規定、例外規定が見られるということになります。

法制審では全会一致の慣行があるため、何とかコンセンサスを得るためにはこのような手法を取らざるを得ないということなのでしょうが、約款規制のような原理的な立場の対立がある論点においてこのような手法を採ることの可否についてはもっとよく考えた方がいいと思いました。アウトプットの良し悪しは別として、大きな方向性を決めるのを全会一致の審議会に委ねていいのだろうか、もう少し民主的なプロセスで方向性は決めて、立法技術的なところを詰めるとか、審議会は方向性を決めるための基礎研究に徹するとか別のやりようはあるのではないでしょうか。

これとは別に、審議の最終局面になって(具体的には部会資料82から83、要綱仮案へまとめる段階で)異なる動きが出てきました。それまでおそらくほぼ民事局のみで検討してきたと内部検討に内閣法制局との調整が加わり、多数の法制的見地からの修正が加わりました。ある雑誌での対談で「法制局参事官は最後のボスキャラ」と称されていましたが、いままで5年もかけてきて整理した条項がバサバサと変わっていくのをみると、今までの議論は何だったのだろうという思いを抱いた人も多かったのではないでしょうか。従来は法制審答申のあと立法過程で法制局審査が入るので、答申が骨抜きになるという批判がありましたので、その過程がより前に、また可視化された形で出てきているという意味では前進だったのかもしれませんが、何だかなあ、という感じですね。

その中で、約款については、従来の動きとは異なり、法制局参事官氏の見解がより反映していると思われる重要な修正がなされています。これが最終的な審議にどの程度影響を与えるのかが、約款の規定が最終的に要綱に入ってくるかどうかの判断要素となるのではないかと思っています。

それでは、部会資料83の約款のところで、そのような参事官氏の足跡をざっと見ていきましょう。

まず、約款の定義としては次のような提案がなされています。

定型約款とは、相手方が不特定多数であって給付の内容が均一である取引その他の取引の内容の全部又は一部が画一的であることが当事者双方にとって合理的な取引(以下「定型取引」という。)において、契約の内容を補充することを目的として当該定型取引の当事者の一方により準備された条項の総体をいう。

民法において規律する約款を何と呼ぶのか、ということについて、中間試案のときまではシンプルに「約款」と呼ばれていたのですが、契約ひな形は除外せよという経済界の意見などを踏まえて、第3ステージでは一旦「定型条項」という用語が提言されました。しかし、それだと個々の条項をいうのか、全体としての約款をいうのかという質問があったので、「定型約款」といいう用語に最終段階で再び修正されました。このあたりは前に述べた伝統的な法制審での調整の延長でしょう。

それから、「相手方が不特定多数であって給付の内容が均一である取引その他の取引の内容の全部又は一部が画一的であることが当事者双方にとって合理的な取引」というのも、うるさい経済界の人たちに何とか納得してもらうために苦心した感じがいかにもします。これでも外延がはっきりしないとか、逆に狭すぎるのではという批判が経済界のみならず学者からも多く残っています。

参事官氏の意向が反映していると思われるのは「契約の内容を補充する」というところです。「補充」とは何か。「従前の案とは表現を異にしているが、その趣旨に変更はな」い、というのが部会資料83-2にあります。つまり、従来「組入れ」と呼ばれてきた、約款が契約として法的拘束力を有するということを「補充」という言葉を使って表現していることになります。では、なぜ「補充」という言葉を使っているのか。価格とか取引対象といった中心条項を協議したら裏面約款が適用される、というニュアンスで裏面約款記載の条件が中心条項に加えて補充されるという趣旨ではないかと最初この言葉を見たときに考えてしまったのですが、どうもそういうことではない。定型約款の法的拘束力は合意が根拠であり、合意は、お互いが内容を理解していることが前提である、しかるに定型約款取引には典型的な合意がない以上、合意ではないものを合意と見なすために「補充」という言葉を使っているということのようなんですね。

「合意は、お互いが内容を理解していることが前提である。」一見当たり前といえば当たり前なのですが、互いが理解していることしか合意として拘束されない、というのは果たして現代の複雑な社会生活において原則なのでしょうか。この規定を作ることが、「合意は、お互いが内容を理解していることが前提である。」という原則を裏から規定することにならないのでしょうか。

裁判実務として想起するのは、NHK受信契約締結訴訟控訴審判決(東京高判平成25年10月30日判タ1396号 96頁)があります。裁判所は NHKが受信契約締結の申込みをすれば受信者の意思にかかわらず契約が成立したと判示したのですが、結論の当否はともかく、少なくとも裁判官の一定割合において、承諾というのは純粋に主観的な心のありようということではなく、契約として当事者を拘束すべき場合に承諾があったという構成をすることが受け入れられているということがあります。合意とか承諾というものは、その言葉から受けるイメージとは異なり、裁判実務においてはもう少し規範的な意味で用いられているのではないか、その中に、約款の規律が入ってくることが何らかの不協和音を起こすのではないのか、ということは慎重に見極めていかないといけないと思っています。

もう1点、参事官氏の見解が反映されていると思われる点として、2(2)

(1)【定型約款によって契約の内容が補充されるための要件】の条項には、相手方の権利を制限し、又は相手方の義務を加重する条項であって、当該定型取引の態様及びその実情並びに取引上の社会通念に照らして民法第1条第2項に規定する基本原則に反して相手方の利益を一方的に害すると認められるものは、含まないものとする。

を見ていきましょう。

この提案は、従来「不意打ち条項」と言われていた規定と「不当条項規制」と言われていた規定とを統合したものですが、昨日も申し上げたように、弁護士も経済界も、約款の内容コントロールが本丸だという認識のもと、事務当局としてその両者を統合するとともに、消費者契約法第10条とできるだけ平仄を揃えて加重規制という印象を与えないようにしていったものではないかと想像します。ところが、その効果で「含まないものとする。」としたことに対しては評判がよくありません。消費者サイドからみても、信義則違反の定型約款はそもそも契約でない以上、消費者契約法第10条の適用領域ではないということは、実務にもかなり影響があると思われます。これも、双方が理解した合意がない以上、およそ契約としても成立していないという参事官氏の考えが反映しているのではないかと思いますが、上述のように、従来の運用からはかなり違和感がある考え方なのではないかと思います。

それでは、今後予定される法制審部会でどのような論点が整理されなければならないかを指摘して、今日は終わりたいと思います。

・拘束力からスタートしたどちらかと言えば学理的アプローチをとるか、約款取引の合理化を目的とした実利的アプローチをとるか?

・実利的アプローチの場合、政策判断として約款についての規定を民法に含めるか否か?

・学理的アプローチの場合、①現在の定義が狭すぎることをよしとするか、②現在の提案内容である不当条項規制(2(2))、変更規定(4)を受け入れるか。

その他にも、約款の変更についての規定で、「約款を変更できる」旨をあらかじめ規定しておかないといけないとしているところ、そのような一般的な変更条項はそもそも信義則に違反するのではないか(基本方針【3.1.1.34】参照)、逆にもう少し変更内容を特定しておかないといけないということになったら、どのような変更があるかをあらかじめ定めておくことが困難な以上、使い勝手が悪くなってしまうのではないか、ということももう少し整理が必要です。

あと、契約の解釈(中間試案第29)をめぐる山本敬三先生と裁判所選出メンバーとの壮絶な議論(第85回)も紹介したかったのですが、取りあえず今日はこの辺で。

ではまた。

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