希望の法務
希望の法務
明司 雅宏さんの『希望の法務ーー法的三段論法を超えて』を読んだ。
法学部ではない文系学部を卒業し、会社に入社した著者は、販売担当などを経て入社5年後突然法務部門に配属された。以来25年同じ企業の法務部門で仕事を続け、法務の部門長となっている。その著者が、「若手企業法務パーソンに…仕事の仕方のこつや心構え」を解こうと思って執筆を開始したものの、コロナ禍に伴う社会、企業活動の激変の中で、法務の仕事についてより純化して語ったのが本書である。著者は「きれいごとを伝えたい」(172)とあとがきで述べている。著者の経歴からわかるように、その言動は、パット出の思いつきではなく、所属する企業の伝統や、法務組織の文化を体現していることに敬意を表したい。(後述するオンラインセミナーにおいて、著者は法務組織長として、企業の経営目標を法務組織、ひいては個別の法務担当者のミッションに置き換えるという営為を紹介されていた。)
(文中数字はページ数)
著者は、法務の仕事は「『具体』と『抽象』、『帰納』と『演繹』、『個別』と『全体』、これらをしなやかに往復運動していく」(153)べきであると説くが、本書に関しては、抽象的かつ全体的なトーンで、多くの比喩を用いて記述されていくように感じる。読者の持つ問題意識によって、宝の山ともなれば、何だかよくわからないということになってしまうように思われる。まるで占い師の話す言葉を聞いているみたいだ。(その点において、弁護士向けの若手法務担当者に仕事の心構えを説く中村直人『弁護士になった『その先』のこと。』が具体的な業務上の注意から入るのと対照的である。)
著者が演繹的思考法よりも帰納的思考法を好むからか、「企業における法務とは何か」という点について、著者の考えが直截に示されることはない。「本質的にはリスクマネジメントこそが法務部門の業務である。具体的には、他の事例や事案を応用し、事前のマネジメント体制を構築することである」(81)とするが、法務部門だけがリスクマネジメントをするわけではなく、法務部門ならではのリスクマネジメントとは何かが分からないので、これだけでは法務とは何かということが分からない。
「リスクに対して『抵抗』し、『オルタナティブ』つまり代替案を提示する」(11)、「情報の質には最新の留意が必要で、それには法務担当者の日常的な調査・分析能力が生かせる」(88)とあるのも、法務だけが代替案の提示をするわけではなく、調査・分析能力に長けているわけではないのだから、同じである。
「法律はそもそも人を不幸にするためにあるのではなく、人が豊かな社会を実現できるための手段であると捉えられるべきである」(101)とあるが、それでは、法律が手段であるとして、他の社会制度と比べて何が違うのか、という点には触れられていない。おそらくヒントとなるのは、「人と人を繋ぐのが、法律であり契約である」(160)というところであると思われるが、それではなぜ、法律(本書では、法と法律とが区別されていない。)が人と人とをつなぐことができるのか、それは他の社会制度ではできないことなのか、というあたりをさらに掘り下げていただきたかったと思う。そのことを通して、法務だからこそできる幸福実現の手法が見えてくるはずなのだ。
企業法務担当者が何を行うべきかという点については、イノベーション分野やコロナ禍といった非常時に重点が置かれた記述となっている。著者自身がそのような意図ではないものの、本書が若い、比較的経験のない法務担当者を主たる読者と置いているのであれば、読者のリテラシーによって、新規事業やリスク発生時の派手な立ち回りこそが法務の華と誤解させるのではないかという心配になる。
「ビジネスパートナーではない。あなたは、ビジネスの一部であるのだ」(23)「法務担当者であるずっと前に、『ビジネスパーソン』である筈である」(24)「法務部門の仕事の成果は『契約書』そのものではない。その契約に基づきビジネスが円滑に進み、リスクがヘッジされている状態を作り出すことである。…契約書はあくまでも『手段』であり、『ツール』である。決して『手段』を『目的』にしてはならない。」(32)「法務部門の理屈を一旦『かっこ』に入れて、相手方がどのような理屈・理由で行動しているか想像してみよう」(38)「法務担当者が長年学んだ「法的思考」を一旦捨て去り、先入観をなくす」(39)
「法務担当者は悪い意味でも、法的三段論法に慣れ過ぎてしまっている。…『演繹的』で『直線的』な思考法が身に付きすぎている」(41)「裁判の場と同じ考え方で行動することの怖さを意識しないといけない」(42)「取引を『契約』それも類型化された『ひな型』から、一度開放させる必要がある」(45)「課題の解決を担い、その相手方との関係性をどのようにすればいいかを提案し、場合によっては、契約書という形でデザインし、事業部の課題、あるいはその相手方の課題も解決していく」(48)
砂を噛むような契約審査、要領を得ない担当者からの法務相談といった若手の日常からは、眩惑するような言葉が並ぶ。しかし、著者は、この著者以外でも最近積極的に各種のオンラインセミナーで発表をしているが、その中で、勤務する法務部門において、毎日30分、法務知識の基礎知識の研修を実施していると述べていた。型破りは型を踏まえなければ型なしという言葉がある。派手な立ち回りの前提として、地道な知識や経験の積み重ねがあるということには、留意して読む必要がある。法務の基礎的素養を一旦身に付けた人が、契約や法的思考を一旦かっこに入れて、担当者の立場に「寄り添う」(私もこの言葉は自らの思念の不十分さを隠蔽するから嫌いだ)からこそ、意味が出てくるのである。あくまでも、今までの法務が契約書、既成の価値観にがんじがらめとなっており、事業に対しても批評家的で主体的に取り組んでいるということへの批判としてこれらの言葉は理解されるべきだと思う。
基礎もない法務担当者が法務相談辞めていきなりビジネスやります、というのであれば、これは希望の「法務」ではなく単なる法務解体論になってしまう。
そのうえで、法務担当者または法務部門の役割として、著者は次のように述べる。
「企業法務におけるプロフェッショナリティとは、事業部門等に対し、最良のリーガルサービスを提供し、ビジネスを進めていく中で、その事業部門の「気持ち」を理解し、適切なタイミングで最良の料理を提供しなければならないという、非常に高度な営みである。」(58)「いわゆる『三線ディフェンス』を堅持することは全くもって有効ではない。…法務担当者は、少なくとも今は前線に出なければならない。前線に出て事業部門と交じり合い、日々の変化を体感し、どのようにしたら自社のリスクを防げるかを共に考えなければならない。そこで必要なのは、法務部門がルールを「押し付ける」やり方ではなく、「ルールの案」を示して、議論ではなく対話を行い、新しいルールを共に作っていくことである。」(82)
さらにこれを比喩的に次のように表現している。
「法務部門はラーメンの味に口をはさむべきかどうか。…それは外部の弁護士などの専門家でもできることなのだ。企業法務は、ラーメン通になるべきではない。わたしたちはラーメン屋になるべきなのだ。わたしたちは、おいしいスープを作ることもできない。力を込めて麺をこねることもできない。レンゲを選ぶことも、麺の湯切りをすることもできないし、サイドメニューのご飯を予想することすらできないかもしれない。しかし、ラーメン屋であるべきなのだ。批評家ではなく、ましてやお客ではなく。そして、ラーメン屋であるからこそ、ラーメンの味に正々堂々と意見をすべきなのだ。」(50)
おいしい食事も作れず、厨房作業も配膳もままならない法務が、「ラーメン屋」であるというのはよくわからない。プロはプロに任せるべきであり、変に現場意識を持たれて介入されても、本人としての満足感はあるが、料理人やサービスをする身からは堪ったもんじゃない。法務担当者向けの書物だからかもしれないが、これじゃ法務の傲慢で、事業担当者に対する敬意が見えてこないのではないように読めてしまう。
これに対する一つのヒントが、その後の記述にある。
「プロの料理人に近い…企業法務のプロフェッショナリティとは、大間産のマグロやエゾバフンウニが常に提供されて、最良の寿司を握れる職人になることではない。それが冷凍マグロであっても、カニカマであっても、おいしく提供できる腕をどれだけ磨けるかである。現場の生姜焼きの腕が下がってきたら、生姜焼きを提供しなければならないし、また、現場にも生姜焼きの作り方を再度教えなければならない。」(57)
先ほど、スープも麺も作れず、配膳も湯切りもできないと述べられていた法務が、今度は、高級な材料を最良の技術で料理することはできないが、有り合わせの材料で美味しく料理ができて、それを人に教えることができる愛想のいいプロの料理人のような人が法務だ、と述べている。
もっと抽象的には、次のような言い方がされている。
「あり合わせの材料を使いながら、丁寧な仕事によって、課題という溝に、連帯しながら、それぞれ異なる色の虹の橋を架けていく」(160)
なぜ法務が、他の人たちとは異なる形で、そのような価値を生み出すことができるのか、それは法務だからなのか(私はそれを信じているが)について、本書は直接触れられていない。それは読者自身の実践に任されている。
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