呟界の諸賢人もすなる書評といふものを、吾人もしてみむとてするなり
松尾剛行 『キャリアデザインのための企業法務入門』についてのレビューを書いてみます。
ざっとみたところ、dtk先生、ちくわ先生が詳細な書評をお書きになっていて、あまり付け加える点もないかもしれませんが、ご容赦ください。
冒頭に、「本書は、法学部生および(典型的には法曹資格を有しない)若手法務担当者を主な読者として想定した」とあり、学習院大学法学部の企業法務に関する講義ノートをもとにしている。簡単な契約書レビューから機関法務、リスクマネジメント、ルールメイキングまで、企業法務で取り扱う領域のほとんどすべてを網羅している。(ただし、記述の精粗あり。)また、脚注で比較的入手しやすい近著を中心とした文献を紹介しており、この後の学習の道しるべにもなっている。
しかし、内容としては、相当期間の経験のある企業法務関係者(企業法務を主として取り扱う弁護士および企業内法務担当者)にとっても、かなり読み応えのある部分もあり、中々学生には難しい部分もあったのではないかと思われる(特に終わりの方の2章である「テクノロジーと法務」「公共政策法務」は、著者の実体験が反映した重厚な論述になっている)。
第1章は、「企業法務とは」と題しているが、冒頭に企業法務の取り扱っていることのリストがあるだけで、結局のところ法務が他の企業活動から差別化される事項は何かが明かされていない、第1章では、「法務部門は、リスク管理において重要な役割を果たす」とあるが、「決して法務部門の『専権』ではない」とする。(9頁)また、「法務部門だけで問題を解決するわけではない」(13頁)「よき法律担当者は、良きビジネスパーソンである」(18頁)とあり、法務が他の部門とは何が最終的に区別されるのかがイメージできないように感じた。
読者層は、「法務」であることについてそれなりに覚悟を決めた有資格者や、法科大学院進学者ではない。他の選択肢の中で、法務とはどういうものかを知りたい学部生や、必ずしも希望とは別に法務部門に配属された法曹資格のない法務担当者ということであれば、何が法務として他のビジネスパーソンから差別化されるのか、ということにまずもって関心があるはずである[1]。また、無資格法務担当者としては、資格者のような体系的な知識学習が欠如しているのではないか、という不安感の中で、資格の有無に関わらない企業法務そのものの存在感とは何かということを考えている。しかしそれは示されず、法律知識があるとか、実際の企業法務が扱っている領域の説明がされるだけであって、不完全燃焼感が残った。
もっとも、著者はこれに対する回答を持ち合わせているはずである。例えば、末尾の公共政策法務の個所において、ルールメイキングにあたって、法務部門が大きな役割を果たす根拠として、現行法では不可能なことの根拠を、ルールの階層(法律、政令、省令、通達、ガイドラインなど)を分析することによって明らかにすることができ、これに対し、どのようなルール改定を行えば不可能が可能になるかを提案することができると述べている(202頁)。このような法的分析能力は、法的機能の1つである。他の人ではできない、法務にしかできないことは何かを、より著者の経験に照らし、冒頭から私見でよいので示していただければ、学生や、無資格者にとって、導きになり得たのではないか。
第2章、第3章は、契約法務についてであるが、法務部長が新入社員にNDAのレビューを指示するとか、条項が相当簡略化されているとかは、学部生が学習するためだろうと思ったが、これと末尾の生硬な論稿とのちぐはぐさに違和感があった。
また、NDAから売買契約へという記述となっているが、NDAは条文数が少なく、記載内容がシンプルであるものの「なかなかに奥が深い」[2]。つまり、どのような情報をどう扱うか、ということが固まっていればレビューは初心者でもある程度可能である一方、どのような情報をどう扱うか、ということについては、事業に精通していないと決められない、むしろそちらの方がビジネスにおいて重要であるという構造がNDAにはある。このような事業ごとの分析を欠いたNDA一般のレビューについては、実際のところ意味が少ないというかむしろ危険ですらある。むしろ、ビジネスを想定して、売買契約から始め、取引前の情報のやりとりという形で、前に述べた取引類型を前提としたNDAへの言及の方がよかったのではないか。
細かい話だが、105頁にタクシーの乗車拒否サービスの話が出てくるが、なぜこれが「ビジネスとして危険」なのかが示されないまま、話が進んでいくことに違和感を持った。直感的におかしいということはわかる。しかし、法務としては、それがどのような根拠に基づき、具体的にどのようなルールに違反したのかを強行しようとする者に対して説得する必要がある。根拠を示して正当化する、ということは、法による問題解決そのものであり、それこそが法務を他の企業活動から差別化する一つの要因だと思うだけに、この辺りの論述は丁寧にしてほしかったところである。
第7章は知的財産権を取り扱うが、法務部門と異なり、知財部門の存在意義については、より直接に記述されているように思われた。なぜ、技術部門から独立して知財部門が必要になるのか。技術者が発明したアイデアを適切に管理し、保護するためには、技術に加え、保護手段である知的財産についての知識が必要になる。権利侵害があったときには、弁護士・弁理士に対して、技術情報をきちんと説明する能力が求められる、といった点については、法務が法務たる存在意義にも通じるのではないかと思った。
第8章は労働法務という題名だが、実際には裁判例の紹介を通した企業内弁護士の役割論となっていて、講義の素材にはよいが著作物としてはもう少し丁寧な補足が欲しかったところである。また、多くの企業では、労務関係の法令は、法務部門が日常的に扱うのではなく人事・労務部門が取り扱うことの方が多いので、その点についても触れておいた方がよかったかもしれない。むしろ法務部門が労働法規を取り扱うのは、組織再編やM&Aの局面である。
第9章のスタートアップ法務には、スタートアップだけではなくて、JV、M&Aなどのエッセンスを含んでいる。また、第10章の機関法務・ガバナンスにはリスクマネジメント、コンプアイアンスも言及されているが、どうも最後の方になって、いろいろなものが短い記述にぎゅっとまとめられており、講義としての時間が限られている中、学部学生や無資格法務配属者にとっては、やや難しい記述なのかもしれない。このあたり、もっと丁寧に分解していくか、逆に思い切って省略するか判断のしどころかもしれない。
第11章のテクノロジーと法務も、コンパクトにまとまっているものの、著者の喫緊の課題であるLegalTechへの取り組みや、スモールスタートで始めようという実践的な提言など、むしろ法務に限らない実務家全体に読んでほしい章である。
最後の第12章が、公共政策法務と題し、ルールメイキングについて法務が貢献できることをまとめた論稿となっている。前述したとおり、法務ならではの貢献の仕方や、様々な方法論の抽象化が試みられ、この章を読むためだけに本書を購入しても惜しくないと感じる。こういう熱い内容の講義を聴くことができた学生さんは幸せだと思う。
全体を通して、各章ごとの文章の「熱さ」や「密度」が異なること、より初学者というか、法務が何かも分からない人のために、端的に法務とは何かという著者の法務観が全体にいきわたっていないのではないかという読後感が残った。終章の熱をもって、全体を改めて構成した第2版の登場を期待している。
[1] これに対して、近時の定評ある企業内法務の入門書では、法務部門に配属された担当者向けであり、既に目の前に業務があることから、そもそも法務とは、という大上段に構えた議論をする必要がない。
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