東京地判平成5年12月16日を題材として企業法務を語ろう
某近刊の感想を書こうと思って読みだしたところ、最初の裁判例から引っかかってしまい、原典を取り寄せてみた。以下、仮構の先生(T)と生徒(S)との問答である。
T: 今日は、東京地判平成5年12月16日判タ849号210頁を読みましょう。これはどういう事実関係ですか?
S: はい、判例タイムスの解説にはこう書いてありますね。
Xは、Yの先代から転売用のマンション6室を購入しその引渡を受けたが、その建物の9階部分の庇が建築基準法上の道路斜線制限(建築基準法56条に定められた建物の高さ制限の1つで、前面道路の反対側の境界線までの水平距離により建物の高さを制限するもの)に違反していたため、同報7条3項に定める検査済証の交付が受けられず、そのため6室中4室が当初の目的に反して転売できなくなったとして、これら4室につき検査済証交付の特約に基づいて売買契約を解除し、支払済代金の返還の外損害賠償賞を請求した(甲事件)。
これに対し、Yは、本件斜線制限の瑕疵は軽微なものので、右瑕疵解消のための是正工事が完了し違反は解消されたとして、解除の効果は発生しないと主張した。なお、Yは、更に本件工事の施工業者及び設計管理業者【以下総称してZ】に対し、債務不履行ないし不法行為に基づいて、損害賠償をし、それが併合されている(乙事件)。
T: それでは、判決はどういう結論だったのでしょうか。
S: はい、甲事件では、道路斜線制限違反と検査済証不交付は、Xの転売という売買契約の目的達成について重大な影響を与えるものであり、解除を有効としました。是正工事は解除後であって、解除の効力には影響を与えず、代金全額の返還をYに命じました。乙事件でも、道路斜線制限違反と検査済所不交付は、請負契約上の不履行にあたると裁判所は認定しましたが、他方、Zが瑕疵を是正可能な軽微なものと考えており、売買契約が解除され、Xに損害を与えると認識しているとまでは認められないとして、不法行為の成立は認めず、Yの損害賠償の一部の求償のみを認めるにとどめました。
T: それでは、判決をもう少し深堀していきましょう。このマンションはどこにあったのでしょうか?
S: 判例集では物件目録は記載が省略されていますが、判決文に台東区による検査とあったので、東京都区部の下町の物件だと思います。
T: 当事者の属性はどうですか?
S: Xは会社で、マンションの転売目的で複数の不動産の売買をすることから、おそらく宅地建物取引業者だと思います。Yは個人で、先代から売買契約における売主の地位を相続した者です。
T: 時間軸を見ていきましょう。XとYの先代との売買契約はいつですか?
S: 1990年3月2日です。
T: 引渡日は?
S: 契約上は、1990年11月1日となっていましたが、工事が遅れていたり、検査済証が交付されなかったりといったような事情があり、引渡しは遅延し、一旦一部未完成のまま12月末にYに引渡しを受けたのち、1991年1月14日に完成・引渡しとなりました。
T: Yが先代から相続により売買契約における売主の地位を承継したのは?
S: 1990年10月1日です。
T: そうすると、Yは相続が発生したり、完工検査(建築基準法7条に基づく、建設工事完了後に建築主事が行う検査)を受けたりバタバタだったことが想像されますね。結局検査済証が交付されないと分かった後、どうなったのですか?
S: はい、完工検査は1990年11月29日にされましたが検査済証が交付されないまま、1991年1月14日にXは引渡しを受け、2月25日までに登記移転が完了しました。その後も是正方法について検討をしていたようですが、違法建築を是正するためには、9階の柱と梁を切断する必要があり、工事に約3か月、構造計算等を併せると約6か月を要することが判明し、建物の売買価格、スケジュール遅延が見込まれました。そこで、Xは、Yに対し、1991年12月11日、検査済証の交付と今後の対応について催告のうえ、翌平成4年3月16日到達の書面により、売買契約対象の6戸のうち4住戸の解除をする旨の意思表示を行いました。本件訴訟がいつ提起されたかははっきりわかりませんが、事件番号が平成4年となっているので、解除後速やかになされたものと思います。なお、是正工事は1992年6月24日ごろから8月末までに行われ、8月21日に台東区役所が検査が予定されていましたが、Xから慎重な対応を求めたこともあり、結果的には検査は実施されませんでした。
T: 催告の時点で、Xには弁護士がついて、解除、訴訟提起まで含めて動いていた感じですね。催告までほぼ1年間、Xは何をしていたと思いますか?
S: 判決文では、解除しなかった2戸について、1991年ころ転売されたこと、1991年7月ごろにXが複数の仲介業者に仲介を依頼したが断られたことが認定されていますね。
T: そうですね。おそらく、検査済証がなくても転売できると思い、売却活動を続けていたのですが、一部売却できたものの、仲介を断る業者も出てきてどうしようかと思っていたのでしょう。それで、弁護士に相談して、訴訟を含めた撤退戦略に舵を切ったというところだと思います。ところで、この1990年から1991年にかけてというのはどういう時期だったと思いますか?
S: バブル崩壊ですか…?
T: そうですね。バブル崩壊から30年以上たった現在では、ある時点を境にパチッと弾けたという印象を持たれているかもしれませんが、1990年代前半は、株価、不動産価格の下落と、イケイケドンドンの雰囲気とがないまぜになりながら進んでいった時代でした。あの、バブル景気の象徴と思われているジュリアナ東京も、開業は1991年5月です[i]。
S: そうなのですね。1989年の大納会で株価がピークとなり、90年から暴落していったので、そこでバブルが一気に弾けたものかと思っていました。
T: 確かに、90年3月には大蔵省から総量規制が出て、東京など一部では地価の上昇がストップしていたのですが、全体としては不動産価格は直ちには下落せず、地価公示では91年がピークでした。ある本では、90年から91年にかけての当時の認識として、このような記載をしています。
90年12月末はバブル崩壊の一年を回想する記事が散見されたが、日本経済はやや失速したという見解が多く、「危機にある」という懸念は少なかった。91年にもバブル崩壊の影響は2年以内に解消されるといった楽観的な観測が流れた。92年7月末に発表された経済白書は「バブル崩壊は、各企業の財務体質の健全化に時間を要するものの、景気への影響は限定的であると考えられます。」と述べている。[ii]
S: 要は、不動産マーケットの下落リスクを読み込むのが非常に難しかった時代である、ということですね。
T: そうですね。このあたりのリスクを意識した契約条項はありますでしょうか?
S: 「売主は買主に対し、建物を引き渡し、かつ、建築基準法7条3項により交付を受けた検査済証の写しを交付する」という規定があります。判決では、X(買主)が、検査済証の取得が転売を実施するにあたり必要であると考え、弁護士のアドバイスも受けてこのような条項を設けたことが認定されています。
T: では、Xはこの条項に従った行動を通りましたか?
S: 引渡にあたって、Xは本件建物の建築基準法違反やそれに伴う検査済証不交付を知ったうえで、一旦引き渡しを受け、登記をしています。その後、転売活動がうまくいかないと、転売できなかった住戸についての売買契約の一部解除をしています。
T: どうして、引渡を受けたのでしょうね?
S: えっと…。たぶん、転売できると考えたのではないでしょうか。
T: そうだと思います。裁判所は認定しませんでしたが、Yからは、斜線制限違反は軽微な瑕疵であり解除事由ではない、検査済証の交付は転売に必ず必要なものではなく、売買の目的の達成を不可能にするものではない、売却できなかったのは経済情勢の変動によるものだ、という反論がされていますね。裁判所は、斜線制限違反等建築基準法違反と検査済証不交付をセットとして考え、これが売買目的を達成できない債務不履行と考えて解除を有効としていますので、検査済証交付条項があることのみをもって原告を勝たせたということではないように思われます。
S: 判例タイムスの解説記事に「検査済証の交付義務は、一般的には売買契約においてはいわゆる付随的な義務であると考えられる」とありますが、付随義務だから解除が難しいということでしょうか?
T: うーん。そういうことではないと思います。第1に、本件だけ見た場合、裁判所は、交付条項と建築の遵法性とをセットで考えており、どちらか一方だった場合に言及はしていないと思います。ですから、この判決の教訓として、単に交付条項を設けておけばリスクは回避できるとか裁判に勝てるというのは、楽天的すぎると思います。第2に、他方、検査済証の不交付が軽微である、というのは、もはや今日では通用しないのではないかと思います。建築基準法が制定・施行された1950年以来、建築主には建物工事完了届出義務があり、違反すると刑罰がありました。現行の7条1項のように、検査の申請義務となったのは1999年(平成11年)5月1日ですが、その当時、完了検査を受ける建物は全体の4割程度しかありませんでした。
S: 過半数の建物は完了検査を受けていないという実情であれば、確かに付随義務とされてもおかしくはないですね。
T: 本件の訴訟時には、もっと低かったと思います。Yが主張するように、転売に必ずしも不可欠というわけではなかったと捉えられてもおかしくはなかったのです。当時は、新築建物の表示の登記にも、金融機関の抵当権設定登記にも、必ずしも必要でなかったという事情がありました。本件では、公庫融資では検査済証が必要書類であることが判決に認定されていますが、Xはいったん代金を払っているのですから、他の担保提供を含めて何らかの方法で取得資金が調達できているはずです。ところが、その後、完了検査率はどんどん上昇していって、90%を超える状況になりました。このような状況では、通常の建物であれば検査済証が交付されているという事実上の推定が強く働くでしょうから、現在、検査済証の交付条項があったら、付随義務だとか、軽微な違反なので解除できないという主張はほぼ認められないのではないかと思います。
S: それだったら、今だったら普通に勝てるんでしょうか?
T: そうでしょうか?先ほど質問した、どうしてXは引渡しを受けてしまったのか、ということをよく考えてください。さらに、YはZが原因で瑕疵(契約不適合)ある建物を引き渡したのに、その全額を求償できなかったですね。
S: そうか。引渡しをXが受けるくらいだから、軽微なんだろうとZが考えたのは不自然ではないと裁判所は思ってしまったんですね。それでも、Xは売買契約解除に伴う売買代金と、違約金は取れているんですよね。
T: 確かに判決では取れていますが、Yが倒産手続きを申し立てたら、損害賠償金は回収できないかもしれません。また、本件訴訟では、Xは本件建物の登記をYに移転することまでは請求していませんから、Yの同意なく、建物登記をYに移転することもできないですね。このあたりのリスクを回避するためにはどうしたらいいと思いますか?
S: 要は、引渡を受けてしまったことがリスクになっているのですから、Xは、検査済証の交付がなければ、物件の引渡を拒絶できるように約定しておけばよいということですか。
T: その通りです。いったん契約を実行してしまってリスクが発覚したら、それを解除で戻すのは困難が伴います。解除できたからOKということではなくて、事後的に訴訟をして勝てても、リスクを回避できたというわけではないのです。
S: 例えば、M&A契約では取引実行条件条項というのがありますが、そういう感じの条項を入れておけばいいですね。
T: そうですね。たとえばM&Aの契約実務(第2版)では、取引実行条件についての条項として次のような条項が紹介されています。
第〇条(買主の義務の前提条件)
第〇条第〇項の買主の義務の履行は、以下のすべての条件が充足されていることを前提条件とする。但し、買主は、その任意の裁量により、以下各号に掲げる条件を放棄することができる。
(1) 第〇条に規定する売主の表明及び保証が、本契約締結日及びクロージング日において、重要な点において真実かつ正確であること。
(2) 売主が、本契約に基づきクロージング日までに履行または遵守すべき売主の重要な義務を履行又は遵守していること。
(3)(略)
(4)(略)
(5) 本契約締結日からクロージング日までの間に、対象会社の運営、資産又は財務状況に重大な悪影響を及ぼす事項が発生していないこと。
(6) 買主が本条各号記載の条件の充足を確認するため合理的に要求する書面が、売主から買主に対して交付されていること。
S: この(6)を修正して、具体的に検査済証とか記載すればよりはっきりしますね。あとは、表明保証事項の中に、完了検査が感利用して検査済証が交付されていることを規定しておくとか。
T: ところが、仮に本訴訟で、このような規定があったとしても、十分ではないです。
S: えっ?そうか。この規定だと「買主の義務の履行」となっていますが、本訴訟では、引渡前に代金を支払ってしまっていますから、引渡を受ける義務だけ拒絶しても、リスクの回避にならないですね。
T: そうです。それでは、手付金以外は引渡と同時に代金を支払うという通常の不動産売買契約の条項にしたらどうですか?
S: それだと、確かにリスクは回避できると思います。
T: でも、買主の事業担当が、転売益を早く欲しくて、前提条件を具備していないのに代金を払って引き渡しを受けたいと言ってきたら、法務としてはどうしますか?
S: いや、リスクなんだから、やめろと言いますね。
T: 転売先が他についていて、あとで検査済証が出るのなら、確実に買ってくれるけど、遅れたらもう買わないと言われて、事業担当が焦っていたらみすみす利益を失わせると言えますか?
S: あとで確実に出るのなら、いいかな…。いや、でもやっぱり出なかったらどうすればいいとなりますよね。将来のことだから、リスクは残るし…
T: 柱書の但書のところを、もう少し詳細に規定しておく必要がありますね。「条件を放棄することができる」とありますが、放棄すればどうなるかを見越して規定する必要があります。(6)のところでも、「合理的の要求する書面」の提出義務を、取引実行条件とは独立して記載しておき、履行遅滞があれば、取引実行条件を放棄しても、契約違反として損害賠償とか解除ができるようにしておくとか、条件を放棄するにあたり、買主は売主に対して任意の条件を付加できるようにしておくとか、より実務的には、いつまでに検査済証を必ず提出するという約束を別途売主から取り付けるとか、そういうことです。
S: それでも、売主が履行してくれないリスクはどうすればよいでしょうか。
T: 転売先に転嫁できればいいですが、相手がいることなのでなかなか難しいでしょうね。売買代金の一部を留保していくという同意を売主から取り付けておいて、その減額幅を転売契約上の違約金として規定しておくということは一応は考えられますが、そこまで複雑だと、なかなか事業担当がついてこなくて、悩ましいところです。まぁ、今は、建築確認がされていない建物を買うなんて人はまずいないでしょうから、この設問自体が杞憂なのかもしれませんね。法務担当はついついリスクサイドの極論を考えてしまいがちです。
S: でも、現実の可能性が低いと言っても、頭の体操をあらかじめしておくことは大事だと思いました。
[i] 伝説の「子供向け」バラエティ番組であるウゴウゴ・ルーガも、92年10月から94年3月までの放送でした。
[ii] 金 惺潤、不動産投資市場の研究、2013年、7頁。
【追記】2018(平成30)年4月1日以降、宅地建物取引業者が売主または媒介の取引は、検査済証の有無を重要事項説明書に記載のうえ説明することとなったので、検査済証の有無を説明することが軽微な義務とすることは、相当困難になったと思われる。なお、法改正前の媒介業者の責任についての事例判決として、東京地判平成28年3月18日参照(消極)。(以上、とり頭法務部員さんのご示唆を踏まえて)
そうですよね、不動産取引の重要事項説明で重要事項として説明が必要な項目について「軽微な違反」の項目で説明したり、検査済証の引き渡し義務の話に矮小化して、「買手は注意せよ」の基本原則を踏まえてないなんてことはないですよね!! https://t.co/euXcNk3cXX
— とり頭法務部員 (@toriatamahoumu) February 24, 2024
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